天神様と呼ばれる由緒
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天神様とも呼ばれる天満宮は、菅原道真を祭神として祀った神社のこと、天神様と親しまれるようになるまでには長い歴史がありました。
平安時代894年(寛平6年)菅原道真は、身に覚えのない罪をきせられ藤原時平により太宰府へ左遷、後に失意のなか亡くなります。
その後の平安京では、雷、火災、水不足、疫病が続き、930年(延長8年6月26日)には清涼殿落雷事件が起こります。
清涼殿落雷事件とは、醍醐天皇がいる清涼殿(天皇が日常いるところ)に雷が直撃、菅原道真の左遷後の動向監視を行っていた藤原清貴と左遷にかかわったとされる人々が亡くなります。
この事件、菅原道真の怨霊が雷神となり祟りを起こしたとされ、菅原道真は天神(雷の神)であると考えられるようになりました。
そこで朝廷は、菅原道真の祟りを鎮めようと北野天満宮を建て、菅原道真が亡くなった地には太宰府天満宮を建てました。
後に、藤原道真の無実は証明され、天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)という神格で祀り、天神様と崇め、また天満宮の名の由来ともなりました。
天神様、今では、天満宮、天満神社、北野神社、菅原神社、天神社などの名称で約12,000社あるといわれています。
【日本三大天神】
北野天満宮(京都府京都市)
太宰府天満宮(福岡県太宰府)
防府天満宮(山口県防府市)
天神様と牛、不思議な繋がり
天神様を訪れると決まって牛が座っている像、「撫で牛」が置かれています。
菅原道真と牛には不思議な繋がりがあり、「道真が生まれた年が丑年」「道真に牛はよくなつき、道真も可愛がった」「道真が太宰府へ左遷されるとき牛は泣いて見送りをした」など、多くの言い伝えがあり、牛は菅原道真(天神様)の神使として篤く信仰されるようになりました。
その「撫で牛」、なぜ座った姿をしているのでしょう。
菅原道真が亡くなり、臣下であった味酒安行(うまさけやすゆき)が亡骸を牛車に乗せ進もうとしたときのこと、牛が座り込み動かなくなります。
牛が座り込んだ姿は菅原道真の御心であると考えられ、亡骸は亡くなった地である太宰府の安楽寺に埋葬されました。
神使である「撫で牛」の像は、頭を撫でると知恵を授かり、自分の体の傷や悪いところを撫でると回復するといわれ多くの人々に信仰されています。
天神様という神様
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祭神である菅原道真が、優れた学者であったことから「学問の神様」として親しまれる天神様、ここでは今でも人々の厚い信仰を集める天神様の恵みの一部をご紹介しますね。
【天神様】
「学問の神様」
菅原道真が学問に優れ国家に尽くした人柄が当代随一と称されました。
「農耕の神様」
農作物の実りに必要な雨を降らす雷を日本古来人々は天神と崇めてきました。
「至誠の神様」
菅原道真は学者、政治家として生涯、日本の発展を願い誠心誠意尽くしたと
いわれ、その生き方が多くの人々に尊敬されてきました。
「厄除けの神様」
古くから太宰府の里の人々の間では、菅原道真が好んだ梅の木の下で
ひょうたん酒を飲むと厄から逃れられるとされていました。
天神様の「結びつき」という第六感を鍛えるエネルギー
平安時代、北野天満宮のある地は、北西の方角にあり、怨霊や災いが入ってくるといわれていました。
醍醐天皇は、その方角に向け大極殿(天皇の御座を設け国の重要な儀式などが行われていた場所)から祈りを捧げているとき、上空には星の中心となる北極星が輝き、日・月・星の動きが人々の生活と深い「結びつき」があることを感じとります。このことから北野の地は天のエネルギーが豊富な地であると言い伝えられるようになりました。
天のエネルギーは、第六感を通して天という宇宙との「結びつき」を感じ、「結びつき」が決してこじつけではないことを、今の私たちに伝え続けています。
例えば、物が2つあり、二者択一するとき、なんとなく選ぶべき物を感じる、という経験はありませんか。
その“感じる”が、天との「結びつき」なのです。
天との「結びつき」にいつも耳を傾け感じることで、人や物事に「結びつき」、理解する力が徐々に鋭くなり、古来の人々が使っていた第六感が蘇ってくるはずです。
天神様へ出かけ、第六感を鍛えるエネルギーを受取り、そして天との「結びつき」という素晴らしい感覚を磨いてみませんか。
天神様、その存在は、まさに素晴らしい天のエネルギーなのですから。
スピリチュアルライフアドバイザー:KAORU
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