2017年も終わりに近づき、2018年も見えてきました。
「縁起を担ぐ」という行為は、昔から行われていました。縁起を担ぐにあたり、日本では生まれ年の干支が重要とされてきました。2018年(平成30年)の干支は戌(いぬ)です。
今回は干支のこだわりについて、古今東西運命学探求家CHAZZがお話しをしていきましょう

●「縁起を担ぐ」という行為


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今でも相撲取りは縁起にうるさく、足袋は必ず左足から履くとか、出かけるときは左足から門をくぐるなど、縁起の担ぎ方も様々です。相撲取りだけでなくスポーツ選手や勝負師ほど、この縁起担ぎは重要視しておりますが、これが戦国武将となると、意外と縁起を気にしていた武将たちも沢山いたようです。
その中の代表格として、江戸幕府の開祖・徳川家康も縁起担ぎ、特に干支に関することにはひときわ心血を注いだそうです。

●干支と裏干支

昔から日本人は生まれ年の干支を身に付ける風習があり、特に江戸時代になると非常に盛んになりました。そもそも干支を身につけることは一種の縁起担ぎとして始まりましたが、一般的には「お守り」「お札」などに干支をあしらえ「無病息災・厄除祈念」のための縁起物として、古くから大切に担がれてきたのです。

また、生まれ干支には「裏干支」と呼ばれるものがあります。十二支を円状に描くと真向かいに来る十二支(数えると7つ目の十二支)が「裏干支」と言います。もともと陰陽五行という中国から渡って来た風習と思われていますが、この「裏干支」の発想は、おそらく仏教の考えから来ていると言われています。
生まれ干支の反対側は裏となるため「裏・背後を守護する」という考えから、「裏干支」は成立してきたのです。つまり「生まれ干支」は繁盛につながり、「裏干支」は守護・息災の意味があったのでしょう。

十二支の裏・表の関係は下記の通りです。

子(ねずみ)⇔午(うま)
丑(うし)⇔未(ひつじ)
寅(とら)⇔申(さる)
卯(うさぎ)⇔酉(とり)
辰(たつ)⇔戌(いぬ)
巳(へび)⇔亥(いのしし)
となり、例えば申年生まれの方の裏干支は寅となります。





●徳川家康の干支に対する異様なこだわり

さて、干支の縁起担ぎにかなり拘っている武将で有名なのが、先ほど話しに出た徳川家康についてです。この方の生まれ年は「壬寅年」生まれですが、当時の暦では「寅年、寅月、寅日、寅刻」生まれという本当に寅づくめの生まれなのです(現代の暦では十二支がずれますが、あくまで当時の暦の考えに基づきます)。

徳川家康は「寅」に関してのこだわりが随所に見られ、その典型例が江戸城入城でしょう。
徳川家康が江戸城入りしたのは天正18年8月1日(1590年8月30日)で、この年も「寅年」です。更に、家康はあえて「寅の方角」で江戸城入りしたそうです。本来「寅方位」とは鬼門方位なのですが、家康にとって寅の縁起の方が重要だったようです。
また8月1日は「八朔日」といって8月の新月の日でした。新月から満月への時期は物事の始まりには吉兆とされ、めでたい日とされています。
その「縁起担ぎ」のお陰もあってか、徳川家康が起こした江戸幕府は、400年に渡り続いたとも言われていますから、「縁起担ぎ」もダテではないと言えるのではないでしょうか?

●裏干支も使用した?


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実は「月の十二支」としてはまだ申月(通常は八朔日から酉の月とされます)であり、家康は自らの「裏干支」である申までも意識して、入城の月日を決定していたのかもしれません。そこまでこだわっていたのなら、相当に意識した縁起担ぎです。

今でも浅草の浅草寺前の出店には、表干支と裏干支がセットになったペンダントやお守りが売っています。もちろん浅草以外でも干支に関する縁起物のお守りは日本全国の神社仏閣にありますので、興味があれば参拝のときにでもお守りとして購入してみてはいかがですか?





古今東西運命学探求家:CHAZZ

WRITTEN BY CHAZZ

CHAZZ
西洋・東洋を問わず、あらゆる占術を駆使した総合的鑑定を行う占術界きっての実力派。 占いだけでなくス...