明智光秀は、戦国時代を駆け抜けた武将の一人です。本能寺の変において、天下統一を目前とした織田信長を討ち取ったことで名を馳せました。三日天下という言葉は光秀から派生した熟語であり、誰もが耳にしたことがあるでしょう。
当時の信長は、カリスマ性に長けた信長に仕えたNO.2の存在は誰かという質問をすると、誰もが豊臣秀吉と答えますが、秀吉は実質的なNO.3です。光秀がNO.2です。この理由には、武士と農民という当時の階級社会の弊害もあったと思いますが、性格の違いが現れていたといわれています。

・感情的にならないコントロールが重要


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信長は、感情の起伏が激しく、ある意味、独裁者でした。自分のそばに同じ性格である秀吉を置いてしまうと、冷静に物事を判断することは不可能と踏んだのではないでしょうか。光秀は冷静に物事を紐解き、無難に問題を解決する能力に長けており、その卓越した才能により、異例の出世を遂げました。その結果がNO.2という位置です。冷静沈着な光秀を傍におくことにより、織田信長は天下統一という未知の分野に本格的に取り組んでいきます。

明智光秀の出世に関しては、新しく入社した方達にも参考になる部分があります。仕事においては感情的な部分に流されず、常に冷静に物事を判断する能力が必要とされます。感情的になれば、その時の気分によって判断が違ってきて、好結果を残せない確率は高まります。明智光秀のように冷静に物事を判断する気持ちを習慣化させておくことが、仕事の結果を残す条件であると思われます。そして、その気になれば、光秀のように信長を倒し、NO.1になることも可能となるのです。





・物事を冷静に判断するように心がけるべき


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角度を変化させてみると、明智光秀の目的は天下統一ではなく、あくまでも織田信長を倒すことではなかったかと推測されます。冷静沈着な明智光秀が選択したのは、天下統一ではなく独裁者を倒すことでした。後者の方が、世の中の平和に繋がると考えたといえるでしょう。
現在、明智光秀と同じ偉業を達成した人物はこの国に存在しません。冷静沈着な彼が発想転換したことはあくまでも、理想ではなく現実ということになります。後に秀吉が天下統一を成し遂げます。光秀はその秀吉に敗れ、非業の死を遂げるわけですが、自分の現実を体現させたわけですから、光秀に無念という気持ちは無かったのではないでしょうか。

これからの世の中を生きていく上で、大切なことは理想を取るか、現実を取るかの選択です。後悔をしないよう、光秀のように冷静に物事を考慮し、現実を選択し、体現するという人生を送って欲しいものです。信長の野望は頓挫しましたが、光秀の野望は見事に達成されたのです。





心理学ライター:響孝二

WRITTEN BY 響孝二

響孝二
新聞記者、心理学ライター 1977年生まれ 北海道出身 公立高校を皆勤賞で卒業後、国立室蘭工業...