【江戸開城】を醸す、100年の時を越え港区芝に蘇った蔵・東京港醸造と江戸の町の礎と結界を張り巡らした天海僧正

 

◇東京23区に蘇った唯一の造り酒屋、「東京港醸造」

江戸時代にまでさかのぼる東京港醸造の歴史

 

今回ご紹介する東京港醸造の歴史は古く、江戸時代までさかのぼります。
文化9年(1812)東京・芝で創業した「若松屋」という造り酒屋が、現在の東京港醸造の前身です。

 

東海道に面した裏芝浜に位置した「若松屋」は、薩摩藩の屋敷にも近く当時は薩摩藩の御用商人でした。
「若松屋」の裏座敷には、西郷隆盛が寝泊まりしていることも多かったそうで、西郷の元を訪れた勝海舟など幕末の志士との江戸無血開城への密談がこちらで行われていたという話も残っています。

 

そんな歴史ある「若松屋」ですが、4代目が引き継いでいた明治43年(1910)に酒税法の改正などのあおりを受け、酒造りは廃業してしまいます。

 

それを、7代目にあたり、現在の社長である齊藤俊一さんが、杜氏である寺澤善実さんとの出会いをきっかけに、約100年の時を経て2011年に「東京港醸造」として復活させます。
23区内唯一の酒蔵として残っていた北区の小山酒造が2018年2月に惜しまれ廃業しているため、本社が山形にあり4.5坪の三軒茶屋に4.5坪の醸造所を持つWAKAZEを除くと、「東京港醸造」は現在23区内では唯一の造り酒屋となっています。

 

 

仕込み水に使うのは、東京の水道水

 

冒頭でも触れたように、こちらの日本酒の仕込み水は東京の水道水です。
杜氏の寺澤さんは、都民1300万人の生活を支える水は安全という大前提から、水道水に注目し酒造適性をテストしてもらったと言います。
その結果、東京の水道水は大変酒造りに向いているお水である上、酒の色味や香りに影響する鉄やマンガンが全く含まれない水であることがわかったそうです。

 

加えて、杜氏である寺澤さんのご出身で、酒造りが盛んで名水と名高い京都伏見の水と硬度がほぼ同じということもわかり、安心安全な東京の水道水を仕込み水に使うことが決まりました。

 

次では、そんな東京の水で仕込んだ【江戸開城】を味わいます。

 

 

 

◇東京港醸造で仕込まれた【江戸開城】を味わう

 

今回頂いたのは、江戸開城 純米吟醸原酒 山田錦です。
一見、ワインボトルにも見える瓶もおしゃれ。最初はキンキンに冷やし、いただきました。
以前いただいた江戸開城がとっても香り高かったので、十分香りを味わえるグラスでスタンバイ。

 


photo by ミラクルナビらぶちゃん

 

フルーティーな香りを十分味わったのち、いただいた一口目、原酒らしいフレッシュ感と程よい酸を感じ、とっても美味しかったです。
常温に近づいても旨みが深まっていく日本酒だと感じたので、手のひらで少しグラスを温めつつ、旨みが開いていくのを楽しみながら、2口、3口と飲み進めていきました。
最初のフレッシュさを残しつつ、味わいがふくよかになり旨みが増していくように感じました。
今回もとても美味しく味わい深い日本酒でした。

 

このお酒が東京のビル街で造られていることに想いを馳せると感慨もひとしおです。
「東京港醸造」では、こちらだけでなく、さまざまな種類の日本酒が造られています。
なかでも、特徴的で斬新なものを次でご紹介します。

 

 

◇最新のサスティナブルな酒造りと地産地消を意識したすべて東京の物で仕込む酒造り

水を汚さない、地球を守る取り組み!無洗米で日本酒を仕込む【純米吟醸原酒 江戸開城 720ml Sustainable Sake】

 
photo by ミラクルナビらぶちゃん

 

日本酒を造る際、気温や湿度、お米の銘柄などによってお米を洗う時間を変えるなど、洗米という行程が第2の精米などと言われ、大変重要であることは、多くの日本酒好きに知られるようになってきました。
しかし、その洗米の際にかなり多くのお水が使われていることを知っている方は、あまり多くないかもしれません。

 

こちらの「東京港醸造」では、そうした洗米の際のとぎ汁が工業用排水として扱われることに注目し、節水に努め地球を守る取り組みとして、無洗米で日本酒を仕込む試みをしています。
無洗米醸造のための技術、深くは企業秘密だそうですが、お米を削り磨く工程で出るお米の粉を特殊な技術で加工し、お米についたぬかを除去する際に使っているそうです。

 

東京港醸造は、世界には深刻な水不足に悩む国々がある中で日本における節水の意識が低いことにも意識を向け、日本国内にも節水を促すことを世に発信して行きたいという想いでこちらの銘柄を仕込んだそうです。
水を大切にし、地球への配慮をしながら作った日本酒、ぜひ出会えたら飲んでみたいと思っています。


photo by ミラクルナビらぶちゃん

 

産学連携で酵母を採取し、すべての原材料を東京の産にて酒を造る【純米吟醸原酒 江戸開城 ALL TOKYO】

東京にはすべての原料を東京産でまかなう名産品がないことにも「東京港醸造」は注目しました。
そうした取り組みとして、すべての原材料を東京でまかない造られた日本酒【純米吟醸原酒 江戸開城 ALL TOKYO】を仕込みました。

 

・お米は日野市や多摩などの酒造好適米(酒米)

・酵母は大田区にある東京バイオテクノロジー専門学校の生徒さんと協力し300株以上採取した中からお酒造りに適した酵母を選定し使用

・仕込み水は先でお伝えしたように東京の水道水

 

を用い、すべての原材料を東京産でまかないお酒を仕込んだのです。

 

特に酵母の選定は大変だったようで、1000株見つけても使えるのは一つくらいというのが通常だそうですが、日比谷公園に来たコマルハナバチから分離した酵母が大変お酒とマッチし、運にも恵まれ、【純米吟醸原酒 江戸開城 ALL TOKYO】を造りあげることができたのです。

こちらもタイミング良く出会えたら、ぜひ味わってみたい日本酒です。

 

日本酒と併せ、日本酒が造られている土地の神様や寺社仏閣を紹介しているらぶちゃんのコラム、次では、「東京港醸造」から歩いていくことができるパワースポット、増上寺の秘密に迫ります。

 


出典:無料素材画像 写真AC

◇蔵から近い増上寺は江戸の裏鬼門、天海僧正の鬼門封じ

 

「東京港醸造」から平坦な道を歩くこと約20分、1.3キロのところに、徳川将軍家の墓所もある増上寺があります。
以前このウラスピナビの東京プリンスホテル敷地内にある「ル・パン・コティディアン」でちょっとセレブなティータイムの記事で紹介されていた、「ル・パン・コティディアン」にも散歩がてら立ち寄れる場所にあります。

 

この増上寺、江戸城の本丸からは南西にあたり、陰陽道では裏鬼門にあたり邪気の通り道であるとされ、重要な場所として認識されています。
裏鬼門に対し、江戸城の本丸から北東は鬼門となり、寛永寺と神田明神が配されています。

 

こうした鬼門、裏鬼門封じのために寺社仏閣の配置を進めたのが、関ヶ原の戦いに勝利した後、関東の地相を見て新しく開く幕府の場所を決めるよう家康から言われ、江戸城を定めた天海僧正です。

 

天海僧正は、家康の計らいにより比叡山延暦寺で修業をしていました。
平安京の鬼門封じとして延暦寺に習い、江戸の鬼門に寛永寺を建て、住職となったのです。
寛永寺の寺号は、東の比叡山の意味で東叡山とも呼ばれています。

 

延暦寺と琵琶湖の配置に基づき江戸には不忍池が設けられ、琵琶湖の竹生島同様、中之島に弁財天を祀ることもしています。
天海僧正が住職を務めた寛永寺の隣には、家康を祀った上野東照宮を建立し、より江戸の護りを固めています。

 

次では、広大な沼地であったと言われる江戸に、天海僧正がなぜ幕府を配したか?
また、その際に行った珍しい掘割や、歴史上の意外な人物の力を借りた話などお伝えしていきます。

 

 

 

◇四神相応の地形である江戸に幕府の本拠地を定めた天海が廻らした結界と三大怨霊と言われる将門の力を借りる北斗七星

 

天海僧正は、なぜ広大な沼地であった江戸に幕府を定めたのでしょうか?
その疑問の答えは、「四神相応」という概念を知ると紐解くことができます。
「四神相応」とは、古代中国の陰陽五行説に基づく思想で、風水における大吉の地相と考えていただければ良いと思います。

 

東に「青龍の魂が宿る川」が流れ、西に「白虎の魂が宿る道」が走り、南に「朱雀の魂が宿る水」があり、北に「玄武の魂が宿る山」がある土地は栄えると考えられてきたのです。
日本の平安京がまさに、この考え方に基づき選定された都でした。

 

東に飯田橋、日本橋を経由し江戸湾へ流れ込む平川が流れ、西に東海道が走り、真北からはかなりずれていますが、北とみなした場所に富士山が、南に江戸湾があった江戸の土地を、天海僧正は「四神相応」に則った土地だと捉え、江戸に幕府を置くよう進言したのです。

 

また、江戸城の本丸を中心に渦を巻き、「の」の字を描くように堀割をしたので、城を中心に町は外側へどんどん拡がっていくように配置され江戸の町は賑わいをみせ、大きく発展しました。
この「の」の字を描くような掘割は、町の発展だけでなく、敵を簡単に城に近づけないことや、火災の際の延焼を防ぐなど、多くの利点がありました。

 

また、天海僧正は陰陽道の結界だけでなく、三大怨霊と怖れられた平将門の力や妙見信仰の力も借りたと言われています。


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◇鬼門の護りを固め、平将門の力を借りるために神田明神を移動し、北斗七星を描いた⁈

天海僧正が用いたのは、陰陽道だけではなかったと言われています。
朝廷を敵に回し、平安京の七条河原で非業の死を遂げた後、首をはじめ身体が関東まで飛び散り、崇徳天皇(すとくてんのう)、菅原道真(すがわらのみちざね)と並んで「日本三大怨霊」(にほんさんだいおんりょう)となった平将門の話は、ご存知の方も多いでしょう。
その平将門の力を、天海僧正は借りたと言われています。

 

大手町の首塚をはじめ、関東には将門を祀る神社が多く残っていますが、天海僧正は将門を祀る神社を北極星・北斗七星を神として崇拝する妙見信仰となぞらえ、北斗七星の柄杓の形に将門を祀る神社を並べました。
将門の手を祀る鳥越神社、兜を祀った兜神社、大手町の首塚、胴を祀った神田明神、足を祀った筑土八幡神社、将門を討った藤原秀郷が勧請し、将門の心臓が埋まっているという説もある水稲荷神社、将門の鎧が祀られている鎧神社を点と線で結ぶと柄杓の形になるのです。

 

胴が祀られているという神田明神は、元々、大手町の首塚近くにあったようなのですが、江戸の鬼門封じに万全を期すために、増上寺と寛永寺を結ぶ線上の湯島に移されました。
神田明神を移し、将門を祀る神社で北斗七星を形づくることができたのです。
こうして、三大怨霊の一人である平将門は江戸の護り神となったわけです。

 

大政奉還、江戸無血開城後の明治政府は、祟り神である将門が江戸を護っていることを怖れ、上記の北斗七星を分断する形で山手線と山手線の円を分けるように中央線を作り、それを太極図に見立て、別の結界を張ったとも言われています。

 

 

 

◇天海僧正が光秀の生まれ変わりという説

こうして江戸の礎を築いた天海僧正ですが、大変長寿で、108歳まで生きたと言われています。
そのため家康のみならず、二代目将軍秀忠、三代目の家光と三代に渡り仕えました。
生まれもはっきりしておらず、生前の前半の記録がほぼないため、謎多き人物とされていて、あくまで説の一つですが、天海僧正は、明智光秀の生まれ変わりだったという人もいます。

 

1582年の山崎の戦いで敗れた光秀は寺社仏閣などに匿われ生き延び、関ヶ原の戦いの頃から天海を名乗り家康に仕えたというのです。

この説の根拠として…

 

  • 会津に生まれた天海僧正の墓が光秀の居城があった近江坂本にある
  • 徳川家光の乳母に光秀の重臣・斎藤利三の娘である春日局が採用され、その際天海僧正と、「おひさしぶりです。」と挨拶した
  • 日光にある明智平という地名のつけたのが天海だった

 

など挙げられていますが、決定的な証拠はないようです。

本能寺の変はありましたが、若かりし日、信長の信頼も厚かったと言われる名将光秀が生き延び、天海僧正となり江戸の町の礎を築いたと考えるとロマンがありますね。

 

 

現在の東京の中心で仕込まれる日本酒を飲みながら、天海僧正、江戸の歴史、光秀に想いを馳せてみてはいかがでしょうか?

 

 

日本酒ナビゲーター:ミラクルナビらぶちゃん

WRITTEN BY ミラクルナビ らぶちゃん

ミラクルナビ らぶちゃん
日本酒ナビゲーターで、占い師、セラピスト。以前の職を生かしメイクレッスンやフェイシャルエステなど美容...