風水の都「京都」緻密な計算で作られたパワースポット


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数ある観光地の中でも古都「京都」は今でも多くの人を惹きつける魅力があります。名所・旧跡も多く国内旅行では人気の観光スポットです。そんな京都の歴史は実は風水と共にあったといっても過言ではありません。京都と風水がどのような関係にあるのかを見ていきましょう。

 

京都は風水が理想とする「四神相応の地」

京都という街ができて1,000年以上が経ちますが、逆に言えばそれより前は別のところに都があったということになります。少し歴史の話をすると、京都に都が移ったのは長岡京への首都移転計画がきっかけです。政治のごたごたから長岡京へ都を移したものの、多くの災害に見舞われてしまいました。時の桓武天皇は、宇佐八幡の神官でもあった和気清麻呂に占いを命じて神託を受け、再び京都へ都を移すことになったのです。
日本後記という書物には「この国は山河襟帯、自然に城を作す」と記されており、京都という土地が都を築くには最適であると判断されています。「山河襟帯」とは、四神相応の地という意味で使われていて、中国の風水から見て最も良い土地といわれていたのです。




安倍晴明の登場で京都は大きな変化を遂げた

安倍晴明は占いや暦を作る陰陽寮の長官という立場で、その子孫も代々天皇に仕えていました。晴明が残した本に『三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集(さんごくそうでんいんようかんかつほきないでんきんうぎょくとしゅう)』という長い名前の本があります。その中では四神相応の土地とは「玄武=山丘、青龍=河川、朱雀=湖沼、白虎=大道」であると記されているのです。
「白虎=大道」と置き換えた部分が晴明のオリジナルであり、日本の風水が独自の進化を辿るきっかけともなりました。この晴明の風水を元に作られたのが、現在の京都であり今でも至るところにその痕跡を見ることができます。

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御所は風水秘術「天心十道定穴法」で守られている

東西南北に高い山が対称にあるとき、それらを結ぶ交点に御所を構えると、その都は繁栄すると考えられた方術が「天心十道定穴法」というもの。晴明が残した方術であり、京都の設計は中国の風水と日本独自のものが織り交ざってできています。
1,000年もの間、日本の政治・文化の中心として栄えた京都の裏事情を知っていると、旅行で出向いた時にもいろいろと楽しめるでしょう。つまり、京都という場所は緻密に計算されて作られた都であり、この場所自体が巨大なパワースポットなのです。




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WRITTEN BY 方山 敏彦

方山 敏彦
ライター・編集者。 趣味が高じて、いつの間にか「占い」にどっぷり浸かる 。料理のメニューに困った...